HOTMOTOGUMBO2017から10日が過ぎ、やっと文字にします。

長いです^^

 

改めましてHOTMOTTOGUMBOとは、1992年に西部講堂で開催されたボ・ガンボスのHOT HOT GUMBOを当時大学3回生のわたし井上佐和子が体験し、そして20年ほどを経てあの日を遠くに見据えながら2013年に大阪のカンテグランデうつぼ公園店ではじめたどんとの歌を唄うお祭りです。最初の年はリクオさん、2014年は山川のりをさん(のりをさんはここから毎年)、2015年は岡地さんと長見順さん、2016年は玉城さんとうつみようこさんをゲストに迎え、大阪のミュージシャン多数に参加してもらっています。決してどんとの追悼ではなく、それぞれが自分の中のどんとを連れて遊びに来てね!というお祭りです。

 

2016年に永井さんがバンド活動を再開したので、次は永井さんにお願いしたいな、と思った瞬間に、次の会場は西部講堂かもな、と思いました。西部講堂は2014年にアマチストック、2016年にストックというイベントを開催させてもらっていて、毎月2回の会議にも参加していて、企画を出すことは出来る状態にありました。

 

そして数えてみると2017年は1992年から25年目。これは、やるなら今年かも。

 

2016年の夏の間にまずはいつもお世話になっている山川のりをさんに意志を伝え、西部講堂会議でも話をして日程を仮押さえして、10月ごろから玉響楽団、パノラミクス、岡地さん、にオファー。本家のみなさんの日程を空けてもらってから、西部講堂でボガンボスイベントと言えば!のドクロズ、その存在にどんとを感じた永山愛樹くん、1992年の風車の作者ヨシダミノルさんの息子さんであり、ずっとどんとの歌も唄っている吉田省念くんにお願いしました。そして岡地さんと一緒に来れるよ、と長見順さんも参加となり、HOTMOTTOGUMBO2017の顔ぶれが決まったのでした。

 

2017年になってすぐに沖縄のさちほさんに電話して、こういうことをやろうと思っています、と報告。今年はどんとの17回忌だから、どんとも西部講堂に戻れて喜んでいると思うと言って頂き、玉響楽団のマネージャーの玉紀さんと相談しながらメインはボガンボローザで行くことが決まり、7月2日に向けて本格的に動き始めたのでした。

 

そこから宣伝活動を始めるにあたっては、うつみようこさんがたくさんのアドバイスをしてくださり、山川のりをさんもいつも気にかけてくれていて、本当にありがとございました。そして今は家庭を持ったりでライブとは縁遠くなっている方もきっといるので、ラジオでの宣伝もしたくて、そのあたりはドクロズのみなさんが動いてくださりました。3月の磔磔での玉響楽団レコ発ライブでは、すべての曲の間に西部講堂のことをすべてのメンバーが言うてくれて、笑いながらも泣けてもて。。その日はライブ後にチケット50枚売れて、ほんとにうれしかったーー

 

しかし最初は一気に動いたチケットも100枚手前ぐらいで急に動きが止まり、ちょうど橋の下世界音楽祭のころだったかな?低迷。橋の下でポスター貼ってたらちょこちょこ買いに来てくれる人がいてて、これもまたうれしかった。

 

京阪神でたくさんのお店がチケット取り扱いしてくださり、ポスターも貼らせて下さって、チラシもたくさんたくさん協力してもらって配って、そうこうしている間に6月末。7月2日の1週間前あたりで、わたしが把握できているとことで200枚、プレイガイドで50枚ほど出ている、と。これはいい感じになってきた!3日前には計270に。当日と25歳以下とで350のつもりをしておこう、と準備して。

 

当日ふたをあけると、500名近いお客さん!!!西部講堂に大型扇風機3台あるのだけれどもリハの時点での暑さにこれではだめだと当日の朝にのりをさんが扇風機6台を買いに走ってくれて外気を入れるのだけれども、ぜんぜんおっつかない。スポットクーラーのレンタル案も出たけども、あの空間では噴出口の目の前1mも冷えないことは経験上よく知っている。(楽屋と岡地さんのドラムの後ろには置いたらよかった、と後で反省)お客さんひとりひとりを冷やすには、甲子園球場でお馴染みのカチ割り氷!

裏手にいたひとたちにお願いをして、ひたすらカチ割り氷を作って配ってもらいました。もちろんそれでもぜんぜん追っつかない暑さで、ほんとにみなさんよく耐えて楽しんでくれて、ありがとう。

 

楽屋の方もアツアツで、しかしステージに上がるひとたちはほんとにさすがの演奏。申し訳ない想いと、それ以上に驚愕!!!だれひとり音を上げない、すごい。覚悟と気合い。ほんとうに、ありがとうございました。

 

ほんとはトリのボガンボローザの前に1992年の映像を、セトリに入っていなかった『あこがれの地』に切り替えるつもりだったのだけれども準備が追い付かず、そのままの映像でボガンボローザに入ったのがひとつだけの心残りかな?でも一発目に始まった永井さんの『ポケットの中』で発酵が一気に膨らんだ感じを思うと、SEはふわっとしたままで始まって正解だったのかもしれない☆

 

途中何度か天井裏から見てたんだけれども、井垣さんの『ダイナマイトに火をつけろ!』はリハで見ていたにもかかわらず驚いた(笑)だってリハの時モヒカンやったし。いったい誰が飛び出して来たのかと思った(笑)あれはすごかったーーー!!!そして井垣さんに繋ぐときの、『次の世代に!』というようなMCがあったのがまさにやりたかったことで、たまらんかったなあ。

 

アンコールでは井垣さんはモヒカンに戻ってて、代わりに赤毛のチェリーさんがおったりして(笑)、ドクロズのダンスはすごいし、のりをさんはぴょんぴょん踊ってるし、目くるめく感じがとってもとってもどんとだった。

 

アンコールのステージに、客席一番うしろにいてた愛樹くんを呼びに行ったら『ここで観ていたい』と言ってニコニコしていた顔も、とても印象に残ってる。

 

タイムテーブルは、押して最後にソワソワハラハラするのを避けたかったので、音止めの21時より1時間早く終わるように組んでいた。出演者のみなさん、さすがで、タイムテーブルからたった5分オーバーで終わった。

 

アンコールの手拍子がなり続いていたけれどもほんとにこれがすべてだったので、PAさんに映像に切り替えてもらうよう声をかけに行くと『挨拶にあがったほうがいい』と。

 

ステージから見た風景は圧巻でした。

マイクの前に立つだけでもいつもは緊張するんだけれども、この時はまったく緊張しなかった。これまでメールでやりとりしたり、ライブ会場で話したりしたひとたちと向かい合えてよかった。何を言うたのかはあんまり覚えていないけれども、目の前一面に笑顔が広がっていて、西部講堂中にどんとがあふれていました。

 

挨拶を終えて楽屋のビールを買いにコンビニに走り、戻りながらすれ違う駅に向かう人の波にお疲れさまありがとうと挨拶を交わす。みんな楽しそうな帰り道でよかった。

 

残ってもらった人たちに片づけを手伝ってもらい、私はほとんど事務所にいてて、重たいものたくさんほんとにありがとうございました。出演のみなさんも体力的に打ち上げとかしんどいやろうし、講堂内で簡単に乾杯だけ用意して、あとはそれぞれで、とお願いしたらいせさんが行きたい人たちの打ち上げ会場段取りしてくれた。そういえば少し前に打ち上げは頼んだ!とお願いしていたことをふたりとも今日思い出して、やっぱ適材適所だな、と(笑)

私は1時ごろに片付けが終わって、宿に戻ると向かいの村屋さんにパノラミクスのみなさんと橋の下の顔ぶれを発見☆打ち上げ終わりの愛樹くん根木ちゃんと合流し、村屋へ。白いお酒を頂いているうちにふわふわしてきて宿へ。気が付くと両手に一枚づつ外したコンタクトもったまま床で気絶してました(笑)

 

ちなみに打ち上げ後もおじさまたちは朝5時まで呑んでたとか。

タフやな~~~~っ!!!

25年後もこれは大丈夫ですなっ!!!!

 

次は2042年に開催です☆☆☆

 

日本津々浦々、天国からも地獄からも、

ほんとに、お集まりありがとうございました。

 

とっても暑くて、とっても幸せでした。

 

井上佐和子

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